私がピアノを習い始めたのは6才半くらいでした。なぜピアノを習うことになったかといえば、幼稚園で先生が弾いて下さった歌のピアノ伴奏に心惹かれたからだったと記憶しています。その当時、家には母が父に内緒で積み立てて買ったオルガンがありました。幼稚園から帰ると、その日幼稚園で歌った歌を鍵盤で音を探りながら弾いていました。そのうち、簡単な伴奏をつけたりして楽しんでいました。両親はそんな私の姿を見て、きちんと習わせようと思ってくれたのでしょう。家の裏に住んでいた方が、「ピアノを習うなら竹中先生(のちに和南城先生)がいいわよ。いい先生だから。」と勧めて下さいました。家から10分くらい歩いたところに先生のお宅があり、当時、先生は昭和音楽大学の講師をされていました。先生のお宅にご挨拶に伺う時には、あの時代には珍しく、母だけでなく、父も一緒に来てくれました。先生のレッスン室は、額縁に入れられた古い楽譜が飾られていたり、彫刻が飾られていたりして、とてもアカデミックな匂いがしました。
レッスンが始まると、両親はいい環境を作ってくれました。父は会社帰りによくレコードを買ってきてくれて、休みの日には朝から、ホロヴィッツ、ポリーニ、アルゲリッチ、ブレンデル、内田光子、中村紘子、宮沢明子etc.色々なピアニストの素晴らしい演奏を流してくれました。こうして、名曲に出会い、いつかは私も弾きたい!と、憧れの気持ちが膨らんでいくのでした。発表会の曲が決まるとすぐにレコードを買ってきてくれて、それを聴き込んだ私は、そのピアニストの独特の歌いまわしをコピーして、先生にそれがすぐにバレて、レコード禁止令が出てしまうこともありました(笑)コンサートにもよく連れて行ってくれました。
母はピアノ経験がなく、家での練習に付き合うことは一度もありませんでしたが、時間に関しては厳しく管理してくれました。学校から帰ると、元気に外で遊ぶのは大いにけっこう。昭和の子供ですから、ドッジボール、かくれんぼ、缶けり、ゴムだん、時には男の子と野球をやったり。でも、ピアノの練習をする約束の時間を過ぎて帰るとものすごく叱られました。約束は約束なのよ、と。
母はとても歌が好きな人で、よく童謡のレコードを聴いていました。私が練習している曲で好きな曲があると、「今弾いてる曲大好き。」と言うので、じゃあ練習して聴かせてあげよう、という気持ちにもなりました。
発表会には、毎回手作りの衣装を作ってくれました。
いい環境づくりをしてくれて時間管理をきちんとしてくれた両親。おかげで、幼少期のレッスンは順調にスタートし、それがあったから今に至っているわけです。それでも、ピアノとの長い付き合いの過程には紆余曲折ありましたが。そのことはまた改めて。